34歳男 介護職を経験して

はじめまして。
私は介護の仕事を半年ほど経験させていただきました。
結果は鬱病を患い退職することとなりましたが、貴重な経験をさせていただいたと肯定的に捉えることができればと思います。

私が介護職に就いた理由は、「世の中のために、人のために率先して、人がやりたがらない仕事をしよう。自分が泥をかぶろう。」という大義名分のためです。自己啓発書に感化されたのがキッカケです。

多くの人に喜んでもらうこと。社会に役立てる力をつけようと考えていました。

仕事内容は通所リハビリテーションでの介護業務全般でした。
移動時や、排泄、入浴での介助。
車での送迎やレクリエーション企画の考案、や実施。
食事や飲み物の配膳。利用者様との雑談などが主な仕事でした。

学生時代に運動部に所属していた私には体力的にはかなり楽に感じました。
しかし精神的にはハードな仕事でした。
人の命を預かっているという重圧。低賃金。40代の女性が中心という職場。もちろん、きちんとした研修制度はありません。社会的に不安定な身分。

私は鬱病を患い、わずか半年で退職をするという流れになりました。

鬱病の心配があるかたはうつ病解消体験談も参考にしてください。

その時の心情といたしましては、「ここまで世の中のために犠牲になったのに」でした。
何も残らないまま、病気だけ、苦しさだけが残り。自分は何のためにやってきたのか。そんな虚無感にも襲われました。

しかし貴重な経験だったとプラスにとらえようと私は考えています。

これからこの仕事をしようと考えている方がいたら。
若い方にはおススメはしません。
育児を経験されている40代以上の女性でしたら、こういった仕事は出来るのかもしれません。
極端に体力を使うこともない。(当時20代で学生時代に運動部所属だった私には体力的には楽すぎました。)
それに雑談は一般的に女性のほうが得意だと思われます。
育児の経験があれば、それは介護と通じる部分が多いため。応用ができます。

なので、40代以上の女性の方で、ご興味があれば、就職先として検討されるのもありかもしれません。

40歳男、やはり介護士は大変な仕事でした!

私は今、現在近くの工場で働く40代前半の男性会社員です。結婚はしているのですが、なかなか子供が出来なくて困っているとこです。私は若い頃に短い期間でしたが介護士として働いたことがありました。元々、私は自分が小さい頃からお爺ちゃんお祖母ちゃん子でしたので、年配である年寄りのお世話には慣れていました。そして、介護士としても働いていたのですが、やはり想像以上に大変な仕事だと感じました。まず、改めて年寄りの方の体の不自由さの大変さやお世話の仕方の難しさに直面しました。日頃からお爺ちゃんやお祖母ちゃんの事は少しは理解しているつもりだったのですが、いざお世話してみると全然予想外のことばかりが起こってしまい、毎日がストレス加担となってしまいました。例えば、日頃からお爺ちゃんやお祖母ちゃんたちと話すのですが、その会話すらまともに出来ないこともあったのです。その例がある時、一人のお祖母ちゃんがトイレに行きたいと言っていたのです。しかし、私も忙しくきちんとその事を実行出来なかったのでした。そして、その為そのお祖母ちゃんはおむらしをしてしまったのです。私は慌ててお祖母ちゃんをトイレまでつれていったのですが、既にお祖母ちゃんはおむらしをしてしまっていたのでした。ですので、私はそれからはしっかりとお爺ちゃんや、お祖母ちゃんの言うことを人より聞くようにしたのです。すると、私の気持ちが少しでも伝わったのか、お爺ちゃんやお祖母ちゃんまでもが逆に私の心配をしてくれたのでした。共に散歩していても、また食事をしていても常に体の心配はしていました。そして、ある程度仕事にも慣れてきた頃に、私は改めてお爺ちゃんやお祖母ちゃんの話を聞いてみようと思ったのです。コミュニケーションを日頃からとっておけば、万が一トラブルが起こったとしても、迅速に対応出来ると思ったからなのです。本当に振り返れば大変な仕事だったと今でも思います。

50代 女性 介護でもっと頑張りたくなったとき

50代の介護福祉士です。有料老人ホームでの働き始めたころの出来事を書きます。
 私が勤めているホームでは自分で何でもできる方から寝たきり状態の方まで暮らしています。ターミナルといって亡くなるまでお世話させていただく方もいらっしゃいます。私は年齢は高いけど、施設で亡くなる方の介護はしていなかったので、先輩(年下)に「ちょっとあぶない方がいる。」と言われたときは不安になりました。介護士のできることはバイタルを測り、異常があれば看護に連絡します。ところが、体調の悪い方は電動の血圧計では測定できず、手動の血圧計(病院で腕に巻いてシュッシュッと空気を入れるタイプ)を使います。これがなかなか難しく、むくんでいる腕に巻いて空気を入れるとズブズブッと腕の水分が移動します。先輩や看護師に教えてもらい、血圧の測り方をマスター、呼吸に気を付けるように丁寧に指導してもらいました。それでも夜勤は一人で何人もの方の介助に各部屋に入っておむつ交換をしなければなりません。自分が夜勤のときに亡くなったらどうしようと考えていると、その日夜勤の先輩が看護師に「常に気を付けるけど、他の部屋にいる間に亡くなるかもしれない。」と言っているのを聞いて「そうだよね。」と少し安心しました。介護士・看護師と力を合わせて介護している様子に、私も少しでも役立ちたいと思いました。
 しばらくして主治医からご家族を呼ぶように話がありました。家族宿泊室にご家族が泊まり込み、最期のときを一緒に過ごされました。臨終が告げられるとその時間に仕事をしていた職員が交代で居室に入り、ご本人様とお別れをさせていただきました。今までも話すことの出来ない方でしたが、声をかけるようにしていたので「ありがとうございました。」と小さい声で声かけさせていただきました。
 部屋を出ると他の入居者の方たちが、部屋の前でそっと手を合わせてらっしゃいました。「ともに暮らしてきたからね。」と話されていました。ここが生活の場所なんだと、改めて理解できた瞬間でした。

59歳 女性 非常勤の介護予防ケアマネージャーは募集要項を十分確認

・自己紹介
こんにちは、私は看護師と保健師の資格を持つ50代の女性です。
40代後半でフルタイムの仕事を退職し、しばらくは半年から一年任期の医療職に関する緊急雇用創出事業予算の仕事をしていました。
その後、特定健診に関するパートの仕事をするようになりました。特定健診の仕事は集団検診での問診が主です。特定保健指導の仕事をしたいと思っていましたが、それは職員が行なっていたため、そのうち非常勤にも保健指導の依頼があるかも知れない・・と思いつつ問診の仕事を続けていました。
それから数年たち、自分の体重が10kgほど増えてしまい、特定保健指導の仕事はもう無理だと思うようになりました。このまま問診だけを続けていても成長や収入アップが見込めないと思い、職種の転換を考えるようになりました。

ハローワークの求人を見て、自分に出来そうな仕事を探していると、訪問看護と介護関係(包括支援センターなど)の仕事がありました。訪問看護は給与が高くていいなと思いましたが、看護はブランクがあるため就労に不安もありました。介護の仕事は全く初めてですが、包括支援センターの仕事内容は多少理解していたためそちらに応募することにしました。
2018年12月に就職活動を開始し、企業から説明を受けたり、面接に行ったりと数社を検討し、2019年4月に介護予防ケアマネージャーの仕事に保健師職としてつきました。私が働いている職場では、介護支援専門員(ケアマネージャー)の資格が無くとも基礎資格(保健師、社会福祉士、看護師)があれば介護予防ケアマネージャーとして採用しています。

現在働いている介護予防ケアマネージャーの仕事は、週3日のパート勤務です(1年契約の契約職員で更新あり)。仕事内容は、担当の利用者さんを受け持ち、家庭訪問をして契約、ケアプラン作成、月1回の電話モニタリング、3ヶ月に1回の訪問モニタリング、評価、介護保険証代行申請などです。利用者さんを受け持つので責任も重いと感じています。以前やっていた保健師の仕事と内容が近いので仕事に慣れるのがスムーズでした。周りのスタッフにも恵まれ、色々教えて頂きながら勤務しています。

現在、約5ヶ月間勤務した感想ですが、仕事の内容、スタッフには恵まれていますが、賃金体系に問題があり、業務内容に対して給与が安いことが問題だと感じています。

受け持ち1件につき、3000円プラス旅費650円が基本賃金で、10件受け持ちで36500円です。しかし、このようなことは面接時に説明されず、賃金は75000から105000円の間でそれに旅費がプラスされると言われていました。初月の賃金は約19000円で、その後新規利用者を増やしていって月約10000ずつ増えていますが年末までに75000円いくのか・・という感じです。

新規の方のケアプラン作成は、結構時間がかかるのですが新規の加算はありません。常勤の方は80件ほど受け持ちを持っておられるので新規をとる余裕はなく、もっぱら非常勤が新規を取っています。また、移動は公用車、公用自転車ではなく自前で調達しなければならず、皆さん駐車場を借りて自家用車を使っています。
駐車場代も自腹です。この少ない給与から交通費、駐車場代、訪問のためのガソリン代などの諸経費を差し引くと、ほんの少ししか残りません。このような状態のため、聞くところによるとやめる方が多く、大量退職、大量採用のようです。

就職活動の時は、大手企業でも疑問点は分かるまで質問し、しっかりと賃金体系や福利厚生を確認されることをお勧めします。

32歳 女 憧れの介護業界で様々な経験を獲得したこと。

■私が大学を卒業して、従事した介護業界における体験談につきまして

私は、女子校、女子大と言う形でエスカレーター方式に近い形で、今まで学校生活を過ごしてきました。そして、自分自身が社会人を目指すと言う形になりました際に、やはり、介護業界に従事して高齢者が元々好きであったのですが、高齢者の方と向き合うような形で、高齢者の方に携わるような仕事をしてみたいと思い、介護業界に重視させて頂く形になりました。介護業界では非常に多彩な仕事が待ち受けている形であり、作業療法士の方と一緒になって高齢者の方に対して、バランスボール等の上に乗られるお婆ちゃんやお爺ちゃんを支えるような形で、介助してあげるような仕事であったり、常時介助が必要なお爺ちゃん、お婆ちゃんに対して、基本的に居住されている部屋で、付きっきりで介助をするような形にさせて頂いたり等、様々な面で高齢者の方と向き合える環境で自分自身を高めることができることに繋がったと思いました。特に私が担当で付くことになった高齢者のお婆ちゃんにつきましては、昔女医さんをされていたと言うことで、医療業界の更に介護業界は下と言う形でその方からは見られており、私に対しての扱いが非常に厳しいものでありました。具体的には、「こんなのも分からないの?」と言うような形で下に見てきたり「ここの施設のレベルはどうなってるの!?こんな職員を私に付かせるの!?」みたいな形で、言われたりですとか、非常に処遇困難なお婆ちゃんでありましたが、それを悲観的に捉えるのではなくて、前向きに捉えるような形で、そう言う厳しいお言葉を自分自身を高めるべき内容であると全てが経験であると思えるような形で、臨むことによりまして、非常に楽観的に物事を捉えることができるように繋がりました。仕事を頂けてありがとうございます。と言う精神が自分自身を高めることに繋がると思い、高齢者の処遇困難な方につきましても、それで乗り切れたことにより数年後、担当から外れることになりました。様々な入居者の方がおられますが、そのような精神で乗り切ることで見えてくるものが違えてくると実感しました。

27歳女性 介護は言われているほど悪くはない

私は2010年卒の現在27歳の女性です。新卒で介護(有料老人ホーム)の仕事に就きました。当時資格などは持っておらず無資格・未経験でこの業界に飛び込みました。大学は介護系の大学などではなく一般的な私大卒でしたが、父方の祖父母が認知症を患いずっと在宅で介護をしていたので、介護の仕事はできると思っていました。採用された職場にはいわゆる新卒の若い人はおらず、ほとんどが40代以上の資格持ちの女性スタッフで占められており、男性は数人いるかいないかの状態でした。
私は久々の若い女性ということで40代の女性スタッフたちからはとてもよくしていただき、丁寧に仕事を教えていただきました。主な仕事内容であるオムツ交換や食事介助も何もかも初めてな私にイチから指導するのはとても大変でいら立つこともあったとおもいますが、そんな素振りすら見せずに何回もできるまで見守ってくださいました。
世の中では介護の仕事は3Kと評され敬遠されがちな仕事だと思いますが、それでも誰かがやらなきゃまわらないという使命感を持ち働くことができています。仕事を辞める理由の第1位であろう人間関係にも恵まれていてやりがいを感じています。
利用者様にも「仕事が丁寧」と褒められ、認められて嬉しくなります。月並みなことですが、利用者様の「ありがとう」の一言で「明日も頑張ろう」と思えます。
介護は重労働で最初は驚きの連続です。慣れないこともたくさんあり、戸惑うこともしばしばです。人間相手の職場なので想定外のことも起こりますが、それが楽しいと感じられる時が来ます。介護はマニュアルがない世界です。手を抜こうと思えばいくらでも手が抜けますが、逆にきちんとやろうと思うと終わりがありません。とても大変な仕事ですが創意工夫が生かせる世界でもあります。「どうすればもっとご利用者様に満足していただける介護が提供できるのか」を第一に考えられる人ならきっと、天職に思える世界だと思います。世の中で言われているほど介護は悪い業界でもないので、ぜひ怖がらずに介護業界に来てほしいと思います。

40歳 男性 あえて何もしない事が成功の道だった

私は40代の男性で、介護老人保健施設(以下老健)で介護福祉士として勤務しています。
老健は他の福祉施設にはないリハビリという強みがあり、家に帰る為に運動機能を高める場所という特徴があります。
しかしながら数年前までの我が施設では、老健というより長く利用者が在住しているような特養状態になっていました。
また介護士やリハビリスタッフの人員も不足していた為、十分なサービスを提供できず、働きながら「何を目標に介護士として働いたらいいんだろうか?」と疑問を持つようになりました。
そんなある日の研修にて。その研修は在宅復帰をバンバンさせている施設で、さぞ人員や設備も充実しているんだろうなと思っていました。
しかし蓋を開けてみると、私が勤務する施設とほぼ相違がなく、一体何が違うんだろうと恥を忍んで介護主任に質問をぶつけてみました。
その答えは「何もしないようにしています。」との事。
からかわれているのかなと最初はムッとしましたが、詳しく話を聞いてみると「とにかくこちらからサービスをするような事はせず、基本的に自分の事は自分でさせるようにしています。介護もリハビリも。家に帰れば何もかも自分でしないといけないから、手伝っていたら意味がないでしょう。」と言われ、まさに目から鱗でした。
その研修を通して我が施設でもサービスを極端に減らし、自分の事は自分で行うという方向にスイッチ。
最初は当然、クレームも多く「あの施設は不親切だ。もう他に移る!」と怒られた事も数知れず。
しかしそのおかげで少ない人員でも在宅復帰率を高める事に成功し、クレームを言われていた利用者様からも「鍛えてくれてありがとう!おかげで家に帰れるわ。」と感謝の言葉を頂きました。
自分がこうすればいいと思い込んでいた事も視点を変えれば意外な道が見つかるんだという事を体験した瞬間でした。
我が施設以外でも同じような経験をされているスタッフさんが多くおられると思うので、今回の記事が参考になれは幸いです。

45歳女 介護施設は良くみて選ぶ事が大事

私はシングルマザーで高校生と大学生の娘が二人います。
看護師の資格があり、病院で働いていましたが、介護部門も人手不足で時々応援に行くようになり、今では介護施設の看護師として働いています。看護師ですが、普段は介護士と同じ仕事をしています。
介護業界は人手不足で常に求人もあり、シングルマザーとしては、働く場所が色々選べるのが一番だと思います。介護施設も、場所により様々な形態があり、たくさん働きたい人は夜勤もある特養などでもいいし、日勤のみで家庭優先したい人はデイサービスなど自分のライフスタイルにあった働き方ができると思います。
仕事も、施設により介護度に応じて楽なところと、忙しいところがありますので、転職する場合は調べた方が良いと思います。
私は、今まで、訪問看護、デイサービス、サ高住、小規模多機能、グループホームを経験しましたが、どれもそれぞれ特徴があり、一番しんどかったのがグループホームでした。
グループホームは認知症の方が入るところなので、対応も難しく、入居者からの暴力もありなかなかハードでしたが、認知症について学びたい人は、生活中心の施設なのでおすすめです。
サ高住は、比較的介護度の低い方が多く、業務は楽でしたが、やりがいを求める方にとっては物足りないかもしれません。
介護施設は人間関係が難しいと言われていますが、幸い私は人間関係には恵まれており、トラブルなく過ごしています。
お給料が安いのが、1番の難点だと思います。これはびっくりするぐらい安いところが多いので、もう少し給与対策してくれたら人手不足も解消するのになぁと思っています。コンビニで働く方が給与は良いかもしれません。それでも、一生懸命働いている人も多いので、介護という仕事に誇りを持っている方も多いのでしょう。
施設はたくさんありますので、1つ2つで失敗しても、色々なところに転職できます。自分にあった職場を見つける事ができたら長く働けるかもしれません。

33歳 男 介護の仕事で人間の一生について考えさせられました

・軽く自己紹介
 33歳の男です。私は、今は介護の仕事をしていないのですが、10年ほど前の22歳から24歳の間、介護の仕事をしていました。私が働いていたところは、特別養護老人ホームで、主に現場で利用者さんの生活の支援をする介護職員として、働いていました。
・行動した経緯や時期
 私が、特別養護老人ホームの現場で利用者さんの生活の支援をする介護職員として働くようになった経緯は、22歳の頃の私は大学を中退し、実家にほぼひきこもりの状態だったので、それを見かねた両親が、私に新聞の求人のチラシを持ってきて、ここなら実家から通えるしここで働いてみたらどうだろうか?と提案を受け、私も現在の日本は超高齢社会なのでこれからは介護の仕事をやれば、職にあぶれることはないだろうなと興味を持っていたので、その提案を承諾したことがきっかけです。次に、私は、その特別養護老人ホームを調べ、ホームヘルパー2級を持っている人を歓迎とチラシに書いてあったので、ホームヘルパー二級の資格を取得しようと、実家の近くにある、ホームヘルパー講座2級課程を受講すればホームヘルパー二級の資格を取得できるというサービスを展開している株式会社に、通ってホームヘルパー二級の資格を取得し、取得後、すぐに両親が私に就職するよう提案した新聞の求人のチラシにある特別養護老人ホームに就職活動し、面接試験を通り、無事に就職できました。
・その時の心情
 特別養護老人ホームに就職し、まだ新人の頃は、ホームヘルパー講座2級課程の実習で経験したので知ってはいましたが、排泄介助などで匂いになれませんでした。また、その特別養護老人ホームには全部で60人くらいの利用者さんが日々生活していましたので、全ての利用者さんの顔、名前、病気、健康状態、食事形態などの様々な情報を覚えることが大変でした。また、その特別養護老人ホームでは、正社員の介護職員は早番、遅番、夜勤という三交代制の勤務形態だったので、私はそれまで夜勤という勤務形態をやったことが無く、夕方から翌朝の昼食前くらいまで寝ないで計16時間働くということが大変でした。だから、正直なところ、初めのボーナスを貰ったら、仕事を退職しようと考えていたのですが、両親から考えが甘いと言われ、頑張って続けていたら、1年間くらいで仕事に慣れてきて、大変なことが少なくなっていきました。その後は、利用者さんとするコミュニケーションや、レクリエーションなど、仕事の中で楽しいと思えることも増えてきました。
・後悔していること
 食事介助のときに、もう食べたくなさそうな利用者さんがいたのですが、その当時の特別養護老人ホームの方針で、健康のために決まった基準までは食べていただくというきまりがあったので、もう食べたくなさそうな利用者さんに無理に食べることを進めてしまったので、後悔しています。
・みている人にアドバイスがあるとしたら
 特別養護老人ホームで働くことは、優しい気持ちだけでは務まらず、ときには利用者さんの気持ちを尊重できないことも業務内でやる必要がありました。しかし、優しい気持ちを持って働くことは介護職として必要なことだと思うので、自分が業務時間内に優しい気持ちでいられるように、自分の気持ちの管理を上手くすることが必要だと思います。

31歳男、意外ときつくなかった

私は現在30代の男性ですが、20代半ば頃にアルバイトで介護業界のお仕事のお手伝いをしていました。
当時あまり知識がなく、偏った情報だけあったため、とにかくきついところなんだと覚悟していきました。
ところが、事前に予想していたものよりも随分と楽な仕事だということに気づきました。そこで、一日の流れを簡単に紹介していきます。
まず、朝礼後に入浴介助を行うところから始まります。入浴も利用者の方々がそれぞれでやってくれるので、こちらは身体が自由に動かない人の服を着脱させてあげたり、塗り薬を塗布してあげるくらいのことしかしません。たまに見守りながら体を洗ってあげるくらいなので、力を使う場面はなかったです。
それから各階の担当の人について、洗濯や個室清掃を行います。これはなかなか時間がかかる作業ですが、退屈をしないので良いですね。
その後、軽く体操を行い、昼食の準備を行います。
昼食も配膳と下膳をするくらいで、とくに食べさせてあげるなどの行為を行った記憶はありません。
スタッフの昼食が終わり、午後からは午前に残った仕事を少しやって、翌日の入浴準備や洗濯の準備、買い出し等を行い、15時少し前くらいからおやつの準備を始めます。利用者がゆっくりとおやつを食べている間も喉に詰まらせないかを見守ってあげて、利用者と囲碁を打つなどのレクリエーション活動を行い、あっという間に一日が終了します。
時期によってはイベントが行われるため、その準備などに追われますが、マンネリ化するよりはそういったイベントがちょいちょい入ってくれると飽きずに仕事が続けられますね。
介護される側の程度にもよると思いますが、基本的に私が務めていたところは利用者の自立をモットーに運営されていたので、働く側としてはとにかくきつい思いをせずに済んでいました。ただし、山の中に施設があったので、虫が出てきたり、イノシシが出てきたりと、そういうのが苦手な人にとっては働くのが難しいかもなと感じました。

20代、女性。介護に転職してみて分かったこと

40代の子育て真っ只中。
専業主婦です。
これは、20代後半の頃のことです。
初めは、医療事務で仕事をしていたのですが、同じ仕事場の人が資格を取るために学校へいくというのを聞きました。
それを聞いたときに、年齢じゃないんだなと思いました。
いつからでも、やる気があれば勉強することは出来るんだなと感じました。
それまでは、これでいいかなとか、20代も後半だしみたいな気持ちがあったと思います。
今さら何かあたらしいことなんて出来ないと勝手思い込んでいました。
なので、同僚の話を聞いたときには本当にすごいなという気持ちでいっぱいでした。
完全に彼女の影響を受けて、もしかしたら私にも新しく何か初められるかもと思いました。
それまでは今から新しく何かを探すと言うことは考えていませんでしたが、その日から少しずつ、自分やりたいこと、やりたい仕事について考えました。
医療系の仕事をしていたこともあり、介護についても興味がありました。
周りにも、仕事している人もいたのも理由のひとつでした。
それからは早くて、新しく介護の仕事を見つけてすぐに転職しました。
始めての業種だったこともあり覚えることもたくさんありました。
しかし、同時に介護職についてから、感じたことは、同じ仕事場の人は専門学校にかよっているひとや、いろんな勉強をしている人などたくさんいました。
そのなかには、私よりも年齢が上の人もいたし、私と変わらない人もいました。
周りが向上心のある人が多いと自分も出来るかもと感じて、講座を受けたりして、介護についても勉強しました。
始めて介護の仕事についたときには、向いてないとか思ったこともありましたが、少しずつ勉強したり、仕事に馴れていくことで、だんだんとやれるようになったと思います。
それに同僚だけではなくて、上司や先輩などもいろんなアドバイスをしてくれたりしたことも、良かったんだと思います。
確かになれまでは、いろんな不安なことがあったり、体力的にもしんどいことはありましたが、周りにも助けられて仕事することが出来ました。

35歳女性 愛があふれる介護現場

35歳女性です。私はデイサービスで長年、介護職員として、仕事をしています。私が働いているところは、小規模デイサービスセンターなので、大型のところに比べると、両者の方との接触が割と多いので、そこが良いと思っています。割とみなさん、体もしっかりとしていらっしゃる方が多いので、毎日、私の方が遊んでもらって、人生経験を豊富にしてもらっているような感覚で、感謝しています。
毎朝、バスの運転手さんから、各家庭から車でやってこられて、センターに入ってこられます。そこからが私の仕事の始まりなのですが、午前中は、まず血圧や熱を測ったり、運動、またお天気のいい日はお散歩に行ったり、外出レクリエーション、買い物をしにスーパーに行ったりもします。そして、お昼飯を食べます。自分で食べられる方は自分で。介護が必要な方々は、私たち職員が食べさせてあげるのが普通です。そしてそれが終われば、歯ブラシをしてもらい、お昼寝が必要な方は、お昼寝していただき、それ以外の方はお風呂に入ってもらいます。これもまた、自分でできる人とそうではない人に分かれいます。お風呂以外の人々は、午後はゆっくりと本を読んだり、塗り絵、また文章を書いたり、習字をしたりと、文化的な活動を行ってもらいます。
体が動かない人の介護は、大変だと思う反面、私は誰かの役に立っているのだという喜びも大変多く感じることができるし、ありがとうと感謝されることもたくさんありますので、そのあたりに、とても仕事のやりがいを感じやすいです。
またデイサービスセンターでは、季節によって、行事があったり、幼稚園児から大学生までの訪問コンサートや、ふれあいの会などがあったりして、とても人間味あふれた雰囲気が漂っているし、愛を感じやすい場所であると毎日のように感じています。介護職員が少ないという現実がかなり多いとよく言われているので、たくさんの方々にも、介護の仕事を楽しんでしてもらい、困っている人を少しでも少なくできる世の中になってほしい希望もあります。

30歳男 改めてした介護の会話

私は30代の介護職3年目男性

これは今現在働いているサービス付き高齢者住宅の話ですが、
前はグループホームで働いていたため、認知度の違いに戸惑いがありましたが、最近一番の悩んだ体験談になります

それは、会話のどのれくらいを信用していいかということです。
例えば、痛いか痛くないか排便があったかどうか前のグループホームではトイレ介助は必然ですべてを把握できていて
悩んだことはありませんでした。
しかし、今は自己申告が多く本当かどうかがわかりません。
あとは、「大丈夫」という言葉です、介助が必要であるかどうか本人の行動を見て判断や介護計画書から介助内容を確認したり
が普通ですが、自立のましてやプライドが高かったら介助をさせてもらえなかったり、本人希望で介助内容を変更してほしいなど
繊細になってきます、今までは自分でトイレに行けてしっかり覚えていたのに、夜の時間に合わなくても下着を隠し「トイレは行った」
大丈夫だったと申告されて後からクローゼットから発見され実は夜は困難になってきたなど、後日に発覚するなど多くあります。

介護認定が高かったり認知が進んでる方なら、介護職員側が把握する範囲がかなり広く取れますが、少し物忘れする程度の人、精神的に落ちている人などの
利用者様は前提では把握していないといけないですが現実はかなり厳しかったりします。

日常会話でもそうです、家族のこと日々の生活での話なども妄想なのか現実なのかどこまで信じるかはかなり難しいです、モノを取られたなどかなりある話で
利用者様の中では確かに収集癖がある方などがいるので本当の時もあるし、本人が妄想で言ってる場合もあるし、はたまた狂言の時もあります。

認知度が進んでく過程の段階の介護は本当に難しく、今の職場になってから本当に悩みました考えました。
今も日々考えながら改善はないか奮闘中です、経験や勘、観察力など自分のスキルが上がっていけばよくなる部分もありますが、やはり100%とはいかないと思います。

私がもしアドバイスできるとすれば、利用者様との関係は良好にしておくことは大事ということです、やはり介護は本人の恥ずかしいと思う部分にも介入することなので
信頼関係が大事になるし、トラブルにもなりずらくなります、簡単ではないですがここをが介護では最重要だと私は思います。

49歳女 介護の仕事はもうこりごり

特別養護老人ホームで短期間パートをしました。介護の仕事の過酷さは知っていたので覚悟はしていたけどやはり長くは続けられない仕事だと実感しましたよ。

なぜ特別養護老人ホームで働いたのか・・・それはそういう場所だったら短時間でも面接に受かると確信していたから。そのころ私は午前中の3時間程度のパートを探していました。介護の仕事は常に人手不足のため短時間でも働き手が欲しいのです。

たった3時間とはいってもすごく長く感じました。それは常に気を遣っているから。入居者に気を遣い一緒に働いている人にも気を遣うから短時間でもヘトヘトに。体力はあまり使いませんでした。その代わり気力を使い果たして仕事帰りはいつもクタクタでした。

介護の仕事に就きたがらない人の気持ちは分かります。臭い汚いきつい労働だから・・・。入居者の下の世話はもちろん、食事の補助が必要な人は食べ物をぐしゃぐしゃにしてしまってその掃除も大変です。おしっこを漏らしてしまうなんていつものこと。大便を流していないこともいつものこと。

話し相手になっていても痴呆がひどくなっている人は何を言っているのか支離滅裂で会話になりません。こちらが強く言えば入居者の家族からクレームがきます。強く言わないと危険なこともあるのに家族はきびしく当たることを良しとしません。

介護の仕事をしていたとき私は人生に絶望しました。仲間であるはずの職員からチクチク言われたり嫌がらせを受けたこともあります。入居者の食事のことでは職員によりやり方が違うからせっかく覚えたことも注意されて・・・。入居者に慣れたころ職員からのいじめとも言える数々の言動に耐えられず退職しました。

介護の仕事は気をしっかり持たないと出来ませんよ。入居者の面倒も大変だけどそれ以上に職員同士の足の引っ張り合いがあるので気をつけたほうがいいでしょう。私は本当に精神的にまいってしまったので今後一切介護の仕事には就きません。

42歳女 二人三脚で進む、派遣の介護

派遣スタッフとして介護職に携わっています。
元々は正職員として特別養護老人ホームで働いていましたが、腰を痛めてしまい、40歳手前で一度退職し、今は介護度の低い利用者さんの多い有料老人ホームで働いています。
同じ派遣会社から来ている人も数人おり、直接雇用の職員さんたちとも上手くやれていて、悪くない職場環境だと思います。
悪くない、と付けたのは、決して良くもないと私が感じているからです。
というのも、やはり介護の現場というのは、肉体労働がメインになりますし、今働いている有料老人ホームは、介護度自体は低いものの、高額な入居金を支払えるだけの蓄えがあった、いわゆる富裕層の利用者さんが多く、職員に対しても高圧的な態度であったり、ちょっとしたことでも利用者さんご本人や、そのご家族の方とトラブルになってしまうことも多く、気苦労が絶えません。
そういった対応を、本来であれば施設の責任者が出てきて対処してくれると思うのですが、現場経験のないサラリーマンのような人が施設長を務めているということもあって、どうにも頼りがいが無く、現場で起きる様々なトラブルを、その場の職員たちでどうにか切り抜けているというのが現状です。
それでも、私を雇用してくれている派遣会社の担当者さんは、とても良くしてくれています。前述のようなトラブルがあった際も、既に施設長が頼りにならないということは伝えてあったこともあり、電話で相談するとすぐに施設へ連絡を入れてくださり、事実確認と今後の方針を決めてくださいました。
よく、派遣社員のことを駒のように扱い、入職後のサポートなど一切してくれない派遣会社もある、というような噂を耳にするのですが、私はしっかりとサポートしてくれる会社さん、担当さんに出会えたようで、とても安心しています。
職場環境は、私だけの力ではどうにもならないとは思うのですが、ここで働くことで、日々の生活費は賄えていますし、少しではありますが貯金もできています。そして何より、派遣会社さんとの二人三脚でやってこれている、という感覚がとても心地よく、働き続ける原動力になっていると思います。
働き方には人それぞれ、色々な形があると思いますが、私のような働き方も、決して悪くはないなと、日々感じています。

25歳男 世間で言われているほど酷い仕事でもない

〇フリーターから職業訓練を経て介護職員を目指した
以前私はコンビニでフリーターをしていました。時期は25歳頃です。年齢的に「そろそろ正社員にならなければ」と焦っていたこともあり、人手不足の介護職の仕事を検討し始めました。

きっかけはハローワークでヘルパー2級の職業訓練校の講座を見つけたことです。学費は無料、テキスト代1万円ほどを負担すれば通えるもので、期間は3ヵ月でした。

そこでヘルパーの実習を終え、なんとか有料老人ホームで正社員の内定を得ることができたので働き始めました。試用期間中はアルバイト扱いでしたが、試用期間終了後には正社員になることができました。

〇仕事自体はすぐ慣れたが、人間関係に悩む
介護職は辛くて薄給だとは言われていますが、仕事自体は言うほど辛いとは感じませんでした。人手不足なので大変ではありましたが、おむつ交換や食事介助などはすぐに慣れます。下の世話ばかりがクローズアップされる介護職ですが、慣れればただの作業なので潔癖症の方でなければ問題なくこなせると思います。

それよりも大変だったのは人間関係です。利用者様は性格がきつい方もおられましたし、当然ながら認知症で話が通じない方も多いです。女性が多い職場と言うこともあり、人間関係も陰湿な傾向にあるのは事実だと思います。ただ結局は人によりますし、性格が良い方も多かったのですが。

看護師の方と何人か一緒に働いていましたが、責任がある仕事だからか性格がきつい方が多かったです。下手すると命に関わるので当たり前かもしれませんが、かなり苦手でしたね…。

実際人間関係が原因で辞めていった職員は多かったです。人手不足で同業転職が容易な業界なので、嫌なことがあると結構簡単に辞めていってしまいます。

〇夜勤をしないと給料は低いが、そこまで低いわけでもない
よく言われる介護職の給料については、やはり夜勤をして手当を稼がないと低いのは確かです。私は夜勤も入って手取り15万円ほどでした。ボーナスが年間2か月分ほどで、年収にすると250万~300万程度です。

これは地方の話ですが、地方の中小零細企業に勤めるとこれ以下の給料も十分ありえますので、言うほど給料が安いわけでもないとは思います。東京などの都会ですと介護職は更に人手不足で、給料が高騰してきているようなので、もう少し期待できると思います。

中には夜勤専属の求人などもありますので、日勤メインでやるよりは給料が高くなる傾向にあります。

〇資格を取るかボランティアで体験してみるといいかもしれません
介護職に興味があるのであれば、私のように資格を取ってみるか、ボランティアで体験してみるといいかもしれません。世間の介護職のイメージは「薄給でキツイ」みたいな散々なものですが、実際やってみるとそこまで酷いわけでもありません。もっと酷くて給料の低い会社もたくさんあります。

どこの施設も人手不足なので、希望すればすぐに働き始めることは可能です。ただいきなり働き始めるのはきついな、というのであれば、一日だけでもボランティアを受け入れていたりするので体験してみるといいと思います。

2040年頃までは高齢者は右肩上がりで増え続けるようなので、当分仕事には困らないと思います。給料は低いのは確かですが、同業転職がいつでもできる仕事ではあるので、そこをメリットと感じられる人には向いている仕事だと思います。

35歳 男性 やって良かった行動

初めまして。私は、35歳男性です。私はこの業界に入り約14年、これまで現場の介護職員、訪問介護の責任者、デイサービスの責任者、特養の生活相談員の職に就いてきました。その中で今回は、現場の介護職員時代に体験したことを紹介させていただきます。
現場にてリーダーに着任した当時、新たに「排泄委員会」=(ご利用者の排泄に関して、月一回会議を開催し、話し合う委員会)を発足しました。私がなぜこの委員会を発足させたかというと、それまでは各職員の感覚と連携だけで、各ご利用者のパットの大きさや排泄時間等をその時々で決めていて、統一感がなく皮膚トラブルも出ていました。また、失禁もあり、余計にご利用者に不快な思いをさせていたと思います。そこで、排泄委員会を立ち上げ、まず、各ご利用者の排泄のタイミングの見直しや、それに伴う使用するオムツ(パット)の大きさの見直しを行いました。それらのことを委員会で話し合い、その決定したことを他の職員に周知することにより、排泄において、ケアの統一が狙いでした。排泄のタイミングを見直すにあたっては、現状の排泄介助時に出ている尿量の把握と、排便のタイミングの把握に努めました。これにはついては、約一か月ほどの期間を要して、各ご利用者の状況の把握をすることができました。ご利用者の状態把握が出来たら、排泄のタイミング(トイレ誘導の時間や、オムツ交換の時間)の見直しです。これに関しては、ご利用者個々の身体状況も踏まえての見直しです。例えば、座位保持が長時間できない方で、本人様も体力的にある程度の時間の離床が出来ない方で、今までのトイレ誘導時間で、排尿があったり無かったりの方であったら、本来の定時での誘導ではなくて、少し時間をずらして、誘導回数を他の方よりも少なく(もちろん、皮膚の状態等に配慮した上で)しました。このようなことを会議で話し合い、その決定を他の職員に周知していくうちに、だんだんと効果が出始め、とても遣り甲斐を感じるようになりました。しかし、この時は必死にやっていたのか、少し強引な感じで進めていたかもしれないと、少し時間がたったころに思い始めて、焦らずみんなの意見をもっと聞くようにしました。排泄回数、方法等を統一することにより、皮膚トラブルやその他のことにおいても、改善していき、でも何か新たに問題が起きても、その会議の中で話し合いをし改善していき、委員会を立ち上げて良かったと思っています。
何か問題が起きて、それに気づいたら、遠回りでもいいから、何か行動に移して、少しずつ前に進むと、ご利用者にとって、働いている職員にとって、プラスになると思います。

30代男性 介護職は国や世間が思っている何倍も酷い状況でした‥

初めまして私は都内在住の男性です、私が介護の仕事をしていた時の体験談をお話しさせて頂きたいと思います、宜しければ最後までお付き合い下さい。

私は2006から2010年までの4年間都内某所の老人介護ホームで派遣社員として介護の仕事をしていました、私が何故老人ホームで介護の仕事をしようかと思ったかというと、日本は将来間違い無く高齢社会になり高齢国になりこの仕事は需要が高まると思ったからです。

イヤらしい話ですが‥要するに仕事が切れないと思ったからです‥、しかし私にも生活があり生きて行かなければなりませんのでおいしい職業には就きたいと思ったのが正直なところです、ですが実際に介護の仕事に就くと現実は甘くはありませんでした‥。

まず私が任された仕事は老人ホーム館内の清掃とホーム入居者の衣服の洗濯やオムツ等のゴミの始末でした、この作業はハッキリ言って簡単でしたがホーム入居者とは常に作業中顔を合わせるので声を掛けられたり、入居者の行動に注意深く目を配らなければなりませんでした、時には文句や絡まれたりして暴力をされる事もありました。

私がこのホームに派遣社員として1年が過ぎると、仕事にも慣れて数人の入居者の方々と仲良くなり気さくな会話も出来るようになりました、しかし‥老人ホームに入居している方は残念な事に仲良くなっても1日経つと私の事を忘れてしまいます‥昨日は笑顔でおはよう!と挨拶を交わしたのに翌日は何だお前は!泥棒か!?誰かお巡りさん呼んで~!!と騒ぎ出します‥、正直ヘコみました‥。

そんなこんなでも我慢をしながら自分の生活の為に介護の仕事をしていました、しかし働き出して4年目の時に私はこの仕事はやっていけないと思った出来事がありました、ある日私はいつものように館内の清掃をして入居者達にご飯を食べさせて、洗濯やオムツの交換等を淡々としていました、そして私は昼休みに近くのコンビニに昼食を買いに行こうと財布を取りにロッカールームに行き自分のロッカーを開ける為に鍵を差し込むと、何故かロッカーの鍵が開いていました‥。

私がロッカーを開けると、私の財布は無く‥私は老人ホームの園長に事情を説明しました、その日は原因は分からなかったのですが、数日後犯人が分かりました、犯人は同じ介護職員でした‥、私と園長と財布を盗んだ職員の3人で話をすると盗んだ職員はストレスでやってしまったという事でした、私は気持ちは理解出来ましたのでこの時は何も音沙汰無く済ませたのですが、更に数日後‥また盗難が起きました。

次に起きた盗難は私の財布では無く、違う同僚の財布でした‥しかし盗んだ人物はナンと老人ホームの幹部職員でした‥、偶然にしても出来すぎてる現実に私はこの業界はダメなのかも‥と率直に思い、その日の翌日に退職願いを提出して辞めました、私は介護という仕事は大事な事だしこれからの日本はもっと老人が増えて大変になる事は分かっていますが、介護する側の人間が日々の疲れやストレスによりこうした犯罪行為をする現実を目にして‥一気にやる気が失せてしまいました‥。

私は介護の仕事に就く人間や現在就いてる人間に対して、国は介護職員の日々のモチベーションを上げる為に給与面の賃上げや休暇面の充実に全力で力を注いであげなければ必ず近い将来日本の介護は破滅する事と思いました、以上で私の介護の仕事の体験談をお話しさせて頂きました、失礼致します。

60歳、女性、勤務先は妥協せず選ぶ事必須

未婚で、成人の娘の母親です。
十数年前、協会支部総括事務局員をして勤務。
一年後に会社組織の統廃合に依り
残留或いは退職の選択肢で一年後の行方も
見通せず早期退職し
同時に、介護ヘルパー2級資格取得初任者研修
専門学校に通い始めました。

生活していく上で、無職とはいかず
平日5日はパートとして勤務し
学校へは、土日曜日月8回1日
8時間授業コースのプランで臨みました。

介護が必要な後期高齢者は
増加傾向にありますが、介護従事者の
数が随分少数であり、近い将来
ホームヘルパーの担い手が不足するのも
理解しておりました。

自分自身が健康体で介護者として
労働できる事、生計を立てる事にとても意欲が湧き
後期高齢者に寄り添い、
高齢者施設ではなく、短かでお宅での訪問介護員として
自立し生活出来るようにとも
決めておりました。

授業が、週2日という事もあり
凡そ半年間で資格取得。

授業は、休憩を1時間昼食に充てる以外は
びっしり講師の先生の話に
真剣に向き合い、学生時代が蘇り
予習復習に備えて、宿題も論文形式で
原稿用紙数枚にもわたるものは、
夜遅くまでかかり、大変さもありました。

授業で、実体験で教室から出て
屋外での実施授業も、
卒業をまじかになると、
福祉老人施設と訪問介護を
実体験し、本番その日その場の対応
授業で培ったものを如何に最大限
活かせるかでした。
しかし、現場はストーリーに沿ったものではなく
容易く柔軟に対処できず
焦り、戸惑い、介護者の人権や
文言を尊重しなければならず
到底独り立ち出来ない不安と
もどかしさが交差致しました。
認知症が進んだ方には
暴言や微暴力攻撃的な行動にも
打ち勝ち、自分を押し殺して
望まなければなりませんでした。

おしめ交換、入浴介助、食事介助
口腔ケア、対位移動、お話し相手など
仕事内容は泥濘みです。

過年、9年間母を病院や施設でお世話になり
永眠致しましたが、
ほぼ介護者ではなく、見舞いって顔を覗かす程度の
存在で、看護師、介護補助ヘルパー各位に
頭が下がり、感謝しかないと
考え頭を巡らせており
ハッと気づいたものでした。

免許取得直前に、未経験に近いものも
受け入れて頂けるヘルパーステーションに
面接し即採用頂きました。

しかし、訪問介護者は人員不足で
わたしの場合、単身で時間も自由がきき
稼働可能な時間帯でフルにシフトに入っていたのが
現状です。

やり甲斐はあります。
しかし、肉体的、疲労感もあり、
精神面が強くないとメンタルが駄目になる傾向にも
なり得るのです。

一稼働あたり時間給に換算すると1400円程度ですが、
ヘルパーステーションの雇用形態、条件に依って働き方にも
善悪し、恵まれている環境か否かで
勤続にも長短が出て、口コミ評判
自分との相性もある勤務先です。
地域にヘルパーステーションは、地域に大多数の
開業しております。
条件も吟味し
妥協なく選ぶ事も大切です。

33歳 男性 色々な企画をやると盛り上がりますよ!!

介護歴は今年で5年目になります。介護福祉士をとって4年半が経ちました。今は有料老人ホームで働きながらライター業を行っています。

今回はデイサービスにおいて施設内でイベントを企画した時の話を書こうと思います。
企画内容はデイサービスで高齢者の皆さんに音楽を楽しんでもらい、同時に手品も一緒に楽しんでもらい。おやつには手作りのケーキを出した事です。

なぜ企画したかと言うと、もともと会社内でファミリーデイといって毎年一回利用者さんや利用者のご家族さん、ケアマネさんといった日頃お世話になっている人に感謝を込めてのイベントを開いていました。
そこで、会社で勤めて2年目の私が企画等をさせていただきました。
当時、『注文を間違える料理店』が話題となり、私も何か介護施設で高齢者が笑顔になったり、感動する事をしたいと思い企画しました。
まずは、予算をあまりかけれなかったので友達に頼みましたが、やはり交通費+お金を頂く感じになり探すのに苦労しました。

5件目くらいに元宝塚の人が、高齢者向けにも歌を歌えると言う事で少し金額が必要でしたが、施設長と相談しオッケーを貰いました。

そして、おやつ作りに関しては元ケーキ屋で働いていた人が居たので、その人にケーキ作りをダメもとでお願いしたらオッケーを貰う事ができました。

私、歌とケーキで充分だと思いましたが、もう一つ何か面白い事がないかと考え、知り合いに手品ができる人が居たので、声をかけてみると心よくオッケーが出ました。
料金も交通費代だけで良いという事で思わずガッツポーズです。

後は当日のスケジュールを組むのが大変な作業です。
午前中の要は入浴介助なのでスムーズに出来るようにくみ
ケーキも仕込まなくてはいけません。

ただ、1番よかったのが皆さんが協力的な事だった点です。
ファミリーデイの当日は働いているスタッフ所が他の事業所のスタッフまでが手伝いに来て頂けました。
この点はかなり大きかったです。

ただ、企画段階でかなり時間を使ったので
当日は夜遅くまで時間を割いたり、他のスタッフにも残業して手伝って頂いた点は今後、もっと大きな事をするには改善が必要です。

こういった企画をしたい新人の人は、ダメもとでやってみるといいと思います。頑張った誠意が伝われば協力してくれる事がおおいです。
ただ、大変ですが。終わった後のチームの結束力や達成感は最高です。

以上、介護施設での企画のお話でした。

40歳男 寄り添うケアについて学ぶ

 このエピソードは寄り添うケアについて私が学んだ話です。特別養護老人ホーム(以下、特養)で私は介護職員として働いていました。介護の仕事を始め数年経って知識や経験も身に付き、少しずつですがお年寄りに寄り添ったケアを形にできていることを実感し始めていました。
 そんな頃のことです。とても笑顔が素敵で愛嬌のあるおばあさんがいました。ただ、そのおばあさんは重度の認知症を患っていたのです。とはいえ、体のほうは元気そのもの。少し足腰が弱いのですが歩くこともでき、食事も自分で食べることができます。けれど、物事を理解したり判断したりすることは難しい状態でした。例えば食事を配膳すると、食事とお茶を混ぜ合わせててしまったりします。また、人形に名前を付けてずっと話しかけたりもしていました。足腰が弱いのですが、そんなことお構いなしに立ち上がり歩こうともします。何をしてしまうのか予想もできないところがあったのです。私たち職員は目を離せないと判断して見守っていました。
 そのおばあさんですが、何を思ってなのかはわかりませんが、普段座っている椅子から床に降りて過ごそうとすることが目立ち始めました。床に降り足を前に投げ出し、お尻をすりながら興味のおもむくまま移動するようになったのです。私たちは最初、その床に降りようとする行動自体を止めていました。毎日掃除をしているとは言え、床に降りて過ごしているのは見栄えもよくなく汚れてしまいます。椅子から床に降りる時に転倒してしまうことも容易に想像できました。しかし、おばあさんにとっては何か理由があって床に降りるのです。私たちに止められることがストレスになってしまい機嫌を悪くしてしまうことが増えてきました。ついには私たちの制止を振り切り、無理やり床に降りようとすることも見られ始めたのです。
 そこで、私たち介護職員はどうしたものかとミーティングを重ねました。結論は、無理に止めることはやめようということになったのです。床に降りたいのなら好きに降りていただこう。ただし、床に降りて過ごしても問題のない環境を整えようと決めたのです。具体的には、簡易の畳を床に敷き、座布団を用意しました。ちゃぶ台のようなテーブルも用意し環境を変えてみました。
 その後ですが、おばあさんは畳の上で本人の思うように過ごしています。その環境が上手くマッチしたのでしょう。職員に行動を止められることもないのでストレスも減ったようです。以前のように温厚な様子で過ごしています。
 認知症が重度になると私たちが思う「普通」が全く通用しなくなることがあります。そんな時は一度、その「普通」を取り払って物事を考えてみることも大切なのだと私は学ぶことができました。今回の話のようにおばあさんのしたい事にこちらが合わせていく。これも寄り添うケアの一つの形なのだろうと感じています。

57歳女 あなたの本当の気持ちが分からなくて、ごめんなさい

私は、介護付有料老人ホームに勤めている介護士です。50歳でホームヘルパー2級の資格を取り、常勤として入職して、54歳で介護福祉士の資格を取りました。今、入職して8年目です。入居者様には色々な人がいます。亡くなった人が退去すると、また新たな人が入居してきます。認知症の人ばかりではありません。中には知的障害者の方もいます。Mさんは女性で、76歳くらいで入居され、7年程ホームで暮らしていました。何かにつけてこだわりの強い方で、食堂に来たらいつもの決まった席でないとイヤ、服も、このズボンや靴下がいいとなったら、それが見つかるまで着替えない、頭の柔軟性がないのです。「ないのなら違う服でいいや」とはならないのです。老人ホームに入る前は、障害者対応の施設にいたのですが、その時に日課としてやっていたのが、広告ちぎり。新聞の折込広告を端からビリビリとちぎっていくのです。それを老人ホームに来てからも毎日やっていました。まるで紙吹雪を作る内職のように、朝食後から夜居室へ戻るまで、一日中ちぎっていました。職員の中には、広告が無くならないように、家の広告を時々もってきて補充する人もいました。気難しい性格で、滅多に人をほめたりしません。しょっちゅうブツブツ不平不満を言っていました。が、何気に可愛らしい面もあったので、職員の中にはMさんを気に入っている人も少しはいました。私はMさんが入居して半年程してから入職したのですが、最初の頃は少し距離をおいて、失礼のないよう対応していました。職員としては当たり前ですが。しかし数年経つうちに、相手の気性や性格などが段々と分かってくるようになり、長年の関わりでこちらの態度も打ち解けたものに変化していくのは仕方のないことだと思います。悪く言えば馴れ合い、かもしれません。最初の、失礼のないような対応ではなく、Mさんの頑固さに対して、イライラを表してしまったり、幼い子供のような態度をとるMさんに、まさに子供に対するような対応をしてしまったり。Mさんが体調を崩して入院していた時は、申し訳ないのですが、心安らかな日々でした。介護という仕事は、介助をして感謝されやりがいを感じる反面、精神的にとてもストレスを受けてしまう仕事です。利用者様の中には癖の強い方がいたり、職員の言うことを聞かずに我を通す方も沢山います。仕事だから…と利用者様とあまり親しくしないというのも一つの方法ですが、それでは信頼関係がなかなか築けません。適度な距離をあけるというのが難しいところです。Mさんは大腸にガンが見つかり、診断されてから半年程で亡くなりました。気に入らない事があると、歩いている途中廊下の真ん中で立ち止まりテコでも動こうとしなかったこともあったMさん。寝たきりになり、排泄介助をすると「痛いよぅ、痛いよぅ」と小さい声で訴えていた様子を思いだすと、「病気じゃない最期を迎えさせてあげたかったな」と思います。介護士をしていても、していなくても、ついつい感情的になってしまうものです。感情豊かなのはいい事だと思いますが、対人関係の中では、感情的になることにあまりメリットはないと思います。自分の精神バランスを守る為にもなるべく物事を客観的に見て、イライラしたり腹を立てたりせず、小さなことでも、笑える事、楽しい事を見つけて、介護という仕事を続けて行けたら、と思います。